感染症の歴史を見てみると・・・

現在、新型コロナウイルスの感染者数は増え続け、日本でも緊急事態宣言が継続中、不安な毎日が続いています。

しかし、感染症の歴史を見てみると感染症は新型コロナウイルスだけではなく、

世界三大感染症と呼ばれているものもあります。

マラリア・結核・エイズであり、近い将来克服されるといわれていたのにもかかわらず、

再び大きな問題となっています。

感染症は人類にとって、いつの時代においても大きな脅威です。

そして、人類の進化には、ウイルスの存在が何らかの役割を果たしているのではないかという学説があります。

感染症は文明病という側面を持っている

緩やかな文明の発展期には、疫病の拡大も緩やかです。しかし人口の爆発的な増加と移動速度の飛躍的な進歩は、感染症の拡大速度をも早める結果を招きます。

その例として14世紀に起こったペストの大流行の原因は、居住地の都市化が進み、街道が整備され荷車が発明されたからです。そしてこの荷車としての馬車の登場は、

人の移動の飛躍的に活発化させました。

ヨーロッパ全土に大流行したペストは、当時の世界人口の20%以上の人の命を奪いました。

 文明の発展速度の激化が、感染症のパンデミックを引き起こしたのです。 

15世紀の大航海時代に突入するとパンデミックは海を渡り、大陸間での感染症の交換が起こりました。

”コロンブス交換”と呼ばれるこの現象は、東半球と西半球の物資や作物、人のみならず病原体をも広範囲にわたり移動させました。

人口が過密化した都市が建設されると、付いて回るのが感染症の流行

日本では・・・

 

 

奈良時代奈良時代の最盛期に当たる当時、唐招提寺の建立など国家規模の大工事が行われる中、大規模な人の移動により感染病の流行の範囲を拡大させました。

江戸時代江戸時代に入ると、日本人口は1,200万人を数え更に過密化が進み、感染症の猛威が市民に襲いかかってきました。

1603年から1868年までの265年間には、13回もの麻疹(はしか)大流行が起こり、1862年に記された記録では1年間での死者は24万人。

一回の麻疹被害での死者数が24万人ということは、江戸期を通しての被害は300万人を超えるだろうといわれています。

感染症は人類の発展の過程

 

1858年の幕末、黒船の来航より5年後に、突如として日本を襲ったコレラパンデミックは、異人(外国人)とともに長崎に上陸しました。

幕末の黒船の出現は日本にとって大きな歴史上の変わり目、日本人の多くが時代の変わり目を意識していた。そんなときにコレラも襲来したのです。

コレラ猛威はとどまるところを知らず、3年間も日常的な死の世界が続いたという記録が残っています。

そして、現代ではどうでしょう?

新型コロナウイルスは大きな時代の変わり目、急激な時代の変化、人類の文明の発展の過程と考えられるのではないでしょうか。

新しい労働のスタイル、新しいビジネスモデルの創出、デジタル化(DX:デジタルトランスフォーメーション⇒デジタル技術による業務やビジネスの変革)、

人々の価値観の変化など時代が大きく、急速に動いている時です。

この先、さらに進んだ社会が発展すると、更に猛毒な感染症の出現もあるかもしれません。

全人類がウイルスを他人にうつさず、うつさないを徹底する社会システムの構築、

自分自身の免疫機能を保つ健康管理ができれば、それが感染症との戦いに勝つ早道かもしれません。

『手洗い・うがい・正しい睡眠』 は今後の人類が時代の変化の中で生き延びる為の必須の習慣といえますね!


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